2017年2月21日火曜日

ペルー人夫と国際結婚。なぜ日本に住むことにしたのか。

まずは私たちの簡単なプロフィールを
Ola~!  はじめまして。
四十路のペルー人の旦那と0歳の乳飲み子を抱え、日本で生活しているアラサー、一児の母です。このブログはそんな私とペルー人のドタバタ人生をおもしろおかしく?!書き綴ろうと立ち上げました。

最近ではあまり珍しくない国際結婚ですが、国際結婚をしている人、検討している人、色々悩みは尽きないかと思います。自分で言うのもなんですが、経済的にもギリギリで、言語にも不自由がある、国際結婚の中でも底辺をいっている私たち家族の体験談が良い意味でも悪い意味でも誰かの参考になればいいなぁ、と思います。まだまだ結婚1年目なので、これが成功例なのか失敗例なのか、人生は未知数ですが(もしかしたらこのブログを書いてる途中で離婚?!とかなるかもしれないですしね、笑。)一つの読み物として楽しんでいただければ幸いです。

なぜ日本に住むことになったのか
結婚する前の私たちですが主人はイタリアに、私は日本に住んでいました。ペルー人はというと二十歳そこらから兄弟でイタリアに住んでいたそうで、そんな彼と1年間イタリアに専門分野の研修のため留学していた私は当時住んでいたアパートの大家さんを通じて出会いました。そこから結婚に至るまで1年と9か月(その頃私は妊娠2か月)。ペルー人が来日したのが出会ってから2年と4カ月。何度か遠距離の時期も重ねつつ、お互いが一緒に暮らしていくにはどうしたらいいのか話し合いを重ねました。といってもほぼ消去法な考え方でしたが・・・。

イタリア、日本、ペルー 3つの国を比較してみて…
主人にとって言語に問題がなく仕事もあるイタリア。美しい街並みと芸術に囲まれて子育てができるのもとても魅力的です。出産も含めて基本的に医療費もかかりません。食料品も日本より安く、美味しいイタリア料理もあります。私のイタリア語は完全移住となるとまだまだレベルアップが必要でしたが語学学習はもともと好きなのでそこはあまり気にしていません丘でした。しかし公的な手続きをするたびに理不尽且つものすごーく意味不明に待たされることがとても多く、日本からの郵便物もまともに届かない。その頃主人はホテルに勤めていましたが、契約社員として更新を繰り返す中でいつ切られてもおかしくない状況でした。当時の彼の年収(月に1000ユーロほど。届かない月もありました)で私に在留許可が降りるかも疑問でした。(これはオフレコですが、主人には兄弟がたくさんおり皆イタリアに住んでいます。家族での集まりがとにかく多く毎週のように誰かの誕生日パーティーやら食事会がありました。実は私、これが苦手でして、、、だって毎週の休みを親戚付き合いに割くにですよ?それもとにかく時間にルーズで自己中なパーティーの多いこと。沖縄にもうちなーたいむ(沖縄のルーズな時間感覚)がありますがそんなの比じゃないです。住んだらこれが一生続くのかーとその当時は思っていたのです。今ではそれもよかったかも、なんて思いなおしていますが…)まぁとにかく私にとってはトータルで1年半ほど住んでみて、ちょうどその国の嫌な箇所が目立つ時期、といいますか。そんな感じでした。きっとこの時期を過ぎたらまたイタリアのいいところがたくさん見えてきて好きになっていたと思うのですがその時点では積極的に住みたいという意思はなかったのです。フィレンツェは大都市の中ではまだいい方ですが治安は3か国中、中くらい。子どもの登下校は中学生まで親同伴必須です。

一方ペルーはというと、首都リマに主人の実家があります。言語は、主人はもちろん母国語なので問題ナシ。私のスペイン語は初心者レベルかそれ以下くらいでした。メリットは主人の両親が住んでいること、近くに兄弟を含め親戚がたくさんいることです。大家族の中で子育てをするのは子どもも社交性や積極性を育てるのには良さそうです。(相変わらずフェスタ嫌いの私ですが、、、)物価もとても安く、私は主人の手料理に釣られて結婚したといっても過言ではないくらいペルー料理が大好きなのでそれも魅力的です。ペルーには沖縄出身の日系人のコミュニティーもあるので、実際には行ったことがありませんが何かしら私の出身である沖縄との関りも持てそうだなーという印象。ただ、、、、仕事がないんです。そして給料が安い。平均月収は月3万ほど。なにかしら外貨を稼げるような仕事があればいいのですがそうでなければ、私は日本に帰国するのもままならなくなるのが容易に想像できます。もちろんですが治安は3か国中一番悪いです、笑。日本人の私は一人で道を歩くことさえできません。

そして日本はというと、とにもかくにも安全。都会はどうかわかりませんが、私の地元では子どもたちは外で元気に走りまわっています。子育て、教育環境はよいのですが、主人は日本語が話せません。これから勉強してもビジネスレベルまであがるのか謎です。よって仕事にありつけるのか、家族を養っていけるのかが一番のネックでした。あ、そして物価が本当に高いですよね。家賃はイタリアより安いですが、野菜や果物、お米など食料品が高いので、安月給で食べていくのは本当に大変そうです。

というのが3か国で住むことを比較したときの私の印象。主人はというとペルー以外なら、、、という感じでした。とにかく仕事がないのだそう。私にはわかりませんが兄弟全員で国を飛び出すくらいですから、本当に仕事がないのかもしれません。ただ兄弟や甥、姪たちがいる住み慣れたイタリアにいたいという気持ちも当然ながらありました。仕事がないのはイタリアも同じなのでその中で家族を養っていけるのかという不安が大きかったです。日本ももちろん言葉の壁があるので仕事に関してはイタリアよりも不安がありましたが、以前に自動車関連の工場で勤務していたときに日本語の話せない南米系の人や、アジア系の人が結構働いていたので、ペルーやイタリアと比べると日本は仕事を選ばなければそこそこあると思ったのです。

はじめての妊娠、出産も相まって
私はまだペルーにいったことがなかったので本当なら行ってみて決めたかったのですが、結婚式の1カ月に妊娠が判明したので、出産、子育てなどのことも考えることになり、初めてのことでとても不安があり自分と子どもにとって一番安全な場所で産みたい。と思うようになりました。結果、私は日本に帰国、主人は当面仕事があるためイタリアに住むことにしたのです。ただ子どもが産まれる瞬間は家族として父親として一緒にいて欲しいということは伝えていました。その為の滞在許可証の申請なども一応しつつ、最終的には私に合わせるように日本に移住することを決断したのは主人でした。なんせこのペルー人、超がつくほどのポジティブ思考の持ち主なので、住んでみて仕事がなさそうならイタリアに戻ればいいじゃないか。と、最後にはイタリアのアパートをあっさり引き払って日本にやってきました。そうやって私たちのジャパンライフがはじまったのです。

親バカ全開のペルー人
そしていざ子どもが産まれてみると彼、信じられないくらいの子煩悩だったのです。とにかく面倒見がよく、もう片時も子どもと離れたくない。といった具合。なので、一時は仕事がなければイタリアに戻って 
仕事を探して家族をよびよせるなんて考えていた彼も、子どもの成長は見逃したくないので、がんばって日本ではたらく、だそうです、笑。そうして私たち一家は日本でしっかり生活をする道を模索しはじめました。



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